凶悪事件簿 2014年05月

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ジル・ド・レイ

ジル・ド・レイ(Gilles de Rais, 1404年9月10日 - 1440年10月26日、ジル・ド・レ、ジル・ド・レエとも)は、フランス王国のブルターニュ地方ナントの貴族、レイ男爵。フランス元帥。Raisは所領の名前で、本名はジル・ド・モンモランシ=ラヴァル(Gilles de Montmorency-Laval)である。


【概要】

ジル・ド・レイは1404年に生まれ、1415年11歳の時、母マリー・ド・クラン死去。同年10月、父ギー・ド・ラヴァルがアジャンクールの戦いで戦死。幼くして両親を失い、遺言で禁じられていたにもかかわらず、弟ともども祖父ジャン・ド・クランに引き取られた。甘やかされて育ったという。この祖父は領地を広げるためにジル・ド・レイを近隣の領主の息女カトリーヌ・ド・トアールと無理やり結婚させた。成長し軍人となると百年戦争のオルレアン包囲戦においてジャンヌ・ダルクに協力し、戦争の終結に貢献し「救国の英雄」とも呼ばれた。

自分の領地に戻ると湯水のように財産を浪費し錬金術に耽溺。財産目当てのフランソワ・プレラティら詐欺師まがいの「自称」錬金術師が錬金術成功のために黒魔術を行うよう唆したことも加わり、手下を使って、何百人ともいわれる幼い少年たちを拉致、虐殺した。レイは錬金術成功という「実利」のためだけではなく、少年への凌辱と虐殺に性的興奮を得ており、それによる犠牲者は150人から1,500人だと伝えられている。

1440年、所領を巡る争いからサン=テティエンヌの聖職者を拉致・監禁したことから、告発され捕らえられる。公開裁判では、すべてを告白し泣きながら懺悔し、その場にいた人間たちに許しを請うた。このため絞首刑になり死体が火刑になった。火刑の際にジルの魂が救われるよう、民衆が祈りを捧げたという。ただし、ジルの評伝の一部は宗教裁判の審理において述べられたものであり、裁判官である司祭(財産を狙う政敵達)により故意に誇張された一面があることも否定できない。ジャンヌが異端として捕らえられ、火炙りになったことから精神を病んだのだとも言われる。

のちにペローの童話に登場する殺人鬼青ひげのモデルとなったと言われている。
スポンサーサイト
カテゴリ
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

PR
リンク
メールフォーム
検索フォーム
PR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。