凶悪事件簿 2014年11月

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マルセル・プショー

マルセル・プショー(Marcel Petiot、1897年1月17日 - 1946年5月25日)は、フランスの連続殺人者。「マルセル・プティオ」とも表記する。フルネームはマルセル・アンドレ・アンリ・フェリクス・プショー(Marcel Andre Henri Felix Petiot)。


【生い立ち】

1897年1月17日に、フランスのオグジエールに生まれる。1914年には、精神科医より、精神病との診断を受ける。 1916年に窃盗罪と逮捕される。そのころ、パリ大学を卒業し、医師免許を取得する。ヴィルヌーブで、開業医を始める。1926年に、ヴィルヌーブの町長に当選する。その直後、彼の愛人のレイセット・トラボーが失踪していて、彼の犯行が疑われる。1930年、公金横領で失職する。その後、パリに引っ越し、医院を開業する。


【連続殺人】

第二次世界大戦のナチスドイツのフランス占領後、迫害を恐れたユダヤ人が脱出するのを、マルセル・プショーが手数料25,000フランを受け取り手助けするふりして、ガスで殺害して死体を焼却し、衣服や貴重品を奪う犯行を繰り返す。その犠牲者は、プショー本人は、63人としている。1944年3月11日、プショーの家屋悪臭ということでの住人からの通報より、警察官が来て死体を発見する。ブショーは、「レジスタンスが処刑した死体焼却の手助け」と弁明し、その後姿をくらます。

まだ焼却処理が完了していない死体および、殺害された人たちのスーツケースなども、館での連続殺人の惨状を確認した警察は、プショーを指名手配する。新聞に、「マルセル・プショーは、ナチスの手先」という記事が載るが、反論する手紙があり、筆跡を鑑定すると、フランス国軍の「アンリ・ヴァレリー大尉」であることが判明する。1944年10月31日に逮捕し、プショー本人であることを確認する。


【裁判・処刑】

プショーは、殺害行為については認めたものの、殺されたとされる者は、ナチスの手先であるとして、「正当化」した。裁判の早期化のため、29人の殺害行為について、刑事裁判が行われた。1946年4月4日、公判が開始される。ある時は、プショーは雄弁に犯行を語り、その一方では、居眠りをしていた。

1946年5月18日、死刑判決が下る。一週間後の5月25日、サンテ刑務所で処刑が行われた。
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