凶悪事件簿 土浦連続殺傷事件

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土浦連続殺傷事件

土浦連続殺傷事件(つちうられんぞくさっしょうじけん)とは、2008年3月19日と同月23日に、茨城県土浦市で発生した通り魔事件。刃物を持った男に通行人が相次いで刺され、2人が死亡、7人が重傷を負った(その内1名は、管轄である土浦警察署の29歳の巡査)。


【経緯】

◆犯人

土浦市内に住んでいた無職の男(当時24歳)。なお、以下犯人を『A』と呼称する。

2008年1月、2月
凶器(包丁とサバイバルナイフ)を購入。

3月
金融機関に預けていた40万円を下ろす(残高の、ほぼ全額に相当)。

3月19日
土浦市内の住宅の玄関前で、72歳の男性が背後から刃物で刺され、死亡しているのが見つかる。犯行時間は同日午前9時20分頃。放置された自転車から、容疑者としてAが浮上(この住宅は、Aの自宅からそう離れていない場所にあった)。

3月21日
茨城県警は、事件の2日後(21日)に、Aを指名手配とした。
逃走中だったAは、最寄りの荒川沖駅から常磐線に乗り、秋葉原に向かった。
Aは都内のホテルに宿泊し、髪を切るなどの変装を行った。
この期間、茨城県警は、常磐線各駅に捜査員を配置していた。特に、Aの最寄り駅であった荒川沖駅には8人を配置し、重点的に警戒態勢を取っていた。

3月22日
Aは携帯電話で茨城県警に110番し、「早く捕まえてごらん」となどと挑発した。
Aは土地勘のある常磐線ひたち野うしく駅から荒川沖駅に向かって歩いたが、殺害できそうな通行人がいないため断念、秋葉原に戻る。
Aは別のホテルに宿泊したが、申し込みの際、うっかり本名を書いてしまう。(この時に1人だと死刑にならない上、指名手配をされているので捕まってしまうと焦る。また荒川沖駅であれば乗降客数が多く、一気に複数の人を殺害できると考える。)

3月23日
午前11時ごろ、Aは黒い上着に黒いニット帽を被り、警戒態勢をかいくぐって犯行に及んだ。
荒川沖駅付近のさんぱる(長崎屋)前、西口から東口にかけて、8人が刃物で刺される。

・5人は駅改札近く、2人はさんぱる前、1人は通路を降りた所で刺された(最後に刺された27歳の男性が死亡した)。

Aは血の付いた包丁を持ったまま、駅からおよそ200m離れた荒川沖地区交番に行き、交番に備え付けてある呼び出し電話機から「私が犯人です」と自ら通報した。そして、駆けつけた警察官に逮捕された。


【県警の対応】

1. 荒川沖駅の捜査員においては、重点的に配置したはずだったが、互いに連絡を取り合う手段が用意されていなかった。
2. また、同駅で警戒していた捜査員は、Aの写真を持っていなかった。
3. 駅側に対し、警戒に当たっていることを、まったく連絡していなかった。
4. 被害者の中には、管轄である土浦警察署の29歳の巡査も含まれていた。
5. 犯行後、犯人が自首した交番は空き交番だった。犯人自らの通報で駆けつけた警察官がようやく犯人を逮捕する、という結末となった。

以上のように、茨城県警のずさんな対応が浮き彫りになり、マスメディアを介して批判された。


【裁判 】

水戸地検は9月1日、約4ヶ月の精神鑑定の結果、Aを殺人などの罪で起訴した。

2009年5月1日より水戸地方裁判所にて初公判が開かれ、Aは「自殺したいために凶行に及んだ。」と述べた。なお、Aは公判中に被害者の傷跡の画像を見て失神、30分間審理が中断された。 また、2009年7月3日の第5回公判では閉廷直前、裁判が長引くと知ったAは激高し、目の前の机をひっくり返して一部を破壊、2009年9月3日の第6回公判では傍聴席に向かって笑みを浮かべてピースサインをする場面もあった。

11月13日に、検察側の論告求刑と弁護側の最終弁論が行われて結審。判決日は12月18日、求刑通り死刑となったが判決文は「犯行は人格障害によるもので、行為の是非の弁別性、行動制御能力には影響していない。完全な責任能力がある」と認定したうえで、「極めて残忍な犯行であり、死刑願望を満たすという動機は強く非難されなければならない。わが国の犯罪史上、まれな重大な事件。反省の態度も全くない。更生の可能性は極めて厳しい」と指摘した。

弁護人は即日控訴したが、Aは12月21日に行われた読売新聞社の取材に対し、「完全勝利といったところでしょうか。(死刑願望が)変わることはない」と話したうえで「常識に縛られている側からみてそう見えても仕方ない」と述べ、「後は(死刑)執行までの時間をいかに短くするか。(国が執行に)動かなければ、裁判に訴える」と、死刑判決は望んだものであり死刑執行されなければ訴えると、自身の願望が成就した事に対し笑みを浮かべていたという。

なお、Aは12月28日に控訴を取り下げる手続きをし、一週間後の2010年1月5日に死刑判決が確定した。この行動に対し、土本武司は「『一刻も早く死刑で死にたい』という100年に1人しかいないような、普通では考えられない被告にとって、取り下げは当然の手続きなのだろう」と述べた。


【犯人の人物像】

Aは高校時代に弓道部に所属し、全国大会にも出場したという。しかし高校卒業後はゲームの道に溺れて進学・就職をせず、家族とも関わりを避けて食事もひとりでとっていたという。2003年8月に行われたゲームの関東地区の大会で準優勝となる。犯行後の取調べでは実の妹をはじめ、小学校や中学校、高校、そしてネットオークションで商品を送ってこなかった人物などを殺害対象にしていたと語っており、小学校襲撃はたまたまその日(3月19日)に標的にしていた小学校が卒業式で保護者がいたために断念、妹殺害も妹と会えなかったために断念し、「誰でもいいから殺したかった」として近所の老人を襲ったという。

警察の取調べではAは携帯のメールで、「俺は神だ」「俺のやることが全てだ」などと記していたとされている。また部屋には「死」という文字と意味不明のロゴマークが壁じゅうに描かれていた。3月25日に送検のため、土浦署を出る際には舌を出すなどの行為が問題視されている。


【類似する事件】

・2001年6月8日に発生した附属池田小事件の犯人(2004年9月14日死刑執行)も、大量殺人を行った理由について「死刑による死を望んだ」と述べている。
・2008年6月8日に発生した秋葉原通り魔事件の被疑者は、取り調べで「ナイフで人を襲うことについて、この事件を参考にした」と供述している。
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