凶悪事件簿 鈴弁殺し事件

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

鈴弁殺し事件

鈴弁殺し事件(すずべんごろしじけん)は、1919年(大正8年)6月に発覚したバラバラ殺人事件。日本初のバラバラ殺人事件とされる。なお、事件に含まれる「鈴弁」は被害者の通称だが、本項では被害者・被疑者名は伏せて符号で表記する。


【発端】

被害者・鈴弁ことAは外米輸入商と高利貸しを兼ねており、米の買い占めで財をなしたが更なる利益を求めて農商務省外米管理部の技師であるBに接触。Bからリークされた情報を基に利益を得て、その一部をBにリベートとして渡した。しかし、Bはその金を投資で浪費して借金を抱え、その返済と生活維持のためたまたまAから「外米取扱い商の許可が下りる様運動してほしい」の要望を利用しAから金を引き出すことに成功する。だが、BはAの要望通りに行動せず、度々Aから詰問される様になった。Bは、最初のうちはAを無視する態度でいたが、業を煮やしたAが関係を暴露する旨を言い出すに至り、追い詰められて殺害を決意した。


【殺害・遺棄】

大正8年5月31日の夜、Bは家族を外出させた上で自宅にAを招き、酒席でもてなした隙をついて共犯の後輩Cと共にAをバットで殴打した上で絞殺、一旦Aの遺体を物置に隠し、翌1日の夜に再び家族を外出させてからAの遺体を切断、2つのトランクに分けた。更に従兄のDを呼び出して遺体の投棄を頼んだ。

6月2日にCとDは鉄道でBの故郷に近い長岡市に向かい、船を出させて信濃川に遺体の入ったトランクを石を結びつけた上で投棄した。 また、Cはまず3日に長岡からBの異母兄宛にへ電信を打ち(この際異母兄は事情を知らされておらず、人違いだと思っていた)、さらに5日に青森からAを装って電信を横浜にあるAの自宅宛に打つ隠蔽工作を行った。


【発覚】

投棄から4日経った6月6日の午前9時頃、牛乳配達人が川に浮かんだトランクを発見したことで事件は発覚し、警察がトランクを調べたところトランクの内側にBのイニシャルが発見された。これによりBの周囲が調べられると共に投棄したC、Dの存在も程なく明らかとなり、3人は逮捕された。


【処罰】

12月、Bに死刑、Cに懲役15年、Dに懲役1年6ヶ月の判決が言い渡された。2年後の1921年(大正10年)4月、市ヶ谷でBの死刑が執行された。
関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

カテゴリ
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

PR
リンク
メールフォーム
検索フォーム
PR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。