凶悪事件簿 福岡病院長殺人事件

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福岡病院長殺人事件

福岡病院長殺人事件(ふくおかびょういんちょうさつじんじけん)とは、1979年(昭和54年)に福岡県北九州市小倉北区で発生した誘拐および強盗殺人事件である。また犠牲者に対する死体損壊から「福岡病院長バラバラ殺人事件」とも呼称する。なお、事件は被害者1名に対して被告人2名がいずれも死刑を宣告され、後に執行された。


【事件の概要】

1979年11月4日、友人同士であったA(当時33歳)とB(当時27歳)は、共謀のうえで、北九州市小倉北区の病院長(当時61歳)を「女性歌手に会わせてやる」と、言葉巧みに誘い出した上で、Bの経営していたスナックに監禁した。そこで家族から2000万円をだまし取るために院長を脅して、家族に現金を市内のホテルに預けるように電話をさせた後、命乞いをする院長を翌11月5日に絞殺した。殺害後、遺体をバラバラにしたうえで北九州~松山港行きフェリーに乗りこみ、大分県姫島沖の周防灘に遺体を遺棄した。犯人らは監禁時に病院長から現金95万円を奪った上に、家族から2000万円を奪取しようとしたが、こちらは失敗した。

11月15日に被害者の胴体が大分県東国東郡国東町(現・国東市)沖で漁師に発見され事件が明るみに出た。遺体は行方不明となっていた院長であると判明し交友関係から警察に2人は1980年2月29日に逮捕された。被害者の右足は1980年7月30日に東国東郡国見町(現・国東市)竹田津沖で発見され、頭蓋骨は1982年2月15日に西国東郡香々地町(現・豊後高田市)の長崎鼻沖で発見された。命乞いをする被害者を殺害し金銭を奪おうとした犯行態度の残虐性が裁判で非難された。


【公判と死刑執行】

公判において、犯行態度の残虐性に加えAB両名は互いの罪をなすり付けあう態度に終始した。そのためか裁判では1審、2審とも凶悪な犯罪の共犯として両名とも検察の求刑通り死刑が宣告され、最高裁も上告を棄却したため、被害者1名に対して共犯2名が死刑が確定する珍しい結果になった。

そのため不当に厳しい量刑との批判もあるが、現行法上凶悪な累犯を重ねた共犯として、ともに同等の厳しい責任を宣告したのは致し方ないともいえる。弁護側が提出した上告趣意書の末尾に両被告人本人の記載によるものがあるが事実誤認を争うものではなく死刑に対する恐怖を書き記した命乞いとも取れる内容であったため話題を呼んだ。1996年7月11日、福岡拘置所において「刎頚の友」として両名は処刑された。Aは享年49、Bは享年43。
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