凶悪事件簿 名古屋アベック殺人事件

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

名古屋アベック殺人事件

名古屋アベック殺人事件(なごやアベックさつじんじけん)とは、1988年2月23日から25日にかけて愛知県名古屋市緑区で起きた、強盗殺人・集団強姦事件。被害者が襲撃された場所の名前から「大高緑地公園アベック殺人事件」(おおだかりょくちこうえんアベックさつじんじけん)とも呼ばれる。人間が行ったとは思えない残忍な手口と身勝手な犯行動機で、日本中を震撼させた。犯人グループ計6名の大半が未成年であったことから、少年法改正に多大な影響を与えた事件である。


◆事件の概要◆


文藝春秋社「オール讀物
1989年8月号掲載「惨殺の構図」による、事件の概要は以下のようなものである。


【事件発覚】

1988年2月23日早朝、愛知県名古屋市緑区の大高緑地公園で、通行人が破壊された乗用車を発見し、驚いて警察に通報した。車はフロントガラスや窓ガラスを粉々に割られ、車中には血のついた下着も残されていた。愛知県警捜査1課が捜査を開始し、車の所有者の三女と、同じ理髪店で働く男性の、若い男女1組が前日夜外出したまま行方不明となっていることが明らかとなった。


【事件発生状況】

1988年2月23日未明、大高緑地公園の駐車場に車を停車していた理容師(男性・当時19歳)と理容師見習い(女性・当時20歳)は、突然2台の車に退路を塞がれた。2台の車に乗っていたのは、とび職A(当時19歳)、唯一の成人B(当時20歳)、とび職C(当時17歳)、無職D(当時18歳)、無職E子(当時17歳)、無職F子(当時17歳)の6人であった。

6人は日頃から「バッカン」と称してアベックを襲っては金品を奪っており、この日も名古屋市港区の金城埠頭で2台の車を襲い、計8
6000円余りを奪っていた。勢いづいた6人はさらにデートをしているアベックの車を物色。大高緑地公園の駐車場で理容師見習い所有の車に狙いを定めた。


【公園での暴行状況(1)】

Aら6人は木刀や鉄パイプを持って運転席近くに行き、更に窓ガラスを力一杯殴り付け、「降りて来い」と怒鳴り、理容師を引きずり出した。理容師が「何ですか」と言うと、Cは「金を出せ」と言って木刀で同人の頭部を力一杯殴打した。

理容師は頭から血を流し悲鳴をあげながら、頭を両手で押さえてその場に座り込んだ。A、B、D、F子はCに加勢し「金は、いくらある。金を出せ」などと因縁を付けて、金品を要求しながら、鉄パイプや木刀などで理容師の全身をめった打ちに殴打し、その傍ら、車の窓ガラス、テールランプ、前照灯、ボンネットなどを叩き壊した。

理容師が気を失うと、E子とF子はシンナーを入れたビニール袋で、助手席にいた理容師見習いの頭部を殴打した。袋が破れシンナーが理容師見習いの頭にかかると、E子は「シンナーが無くなったがや」などと因縁を付けて、理容師見習いの髪の毛を強く引っ張り、車から引き出し、髪の毛をつかんだまま、ハイヒールを履いた足で理容師見習いの足、背、腹などを多数回にわたり蹴り付けた。F子とCは、木刀で理容師見習いの両腕部や背部などを殴り付けた。F子は、 6人の犯行に怯え切って全く無抵抗の状態の理容師見習いに「裸になれ」と言って、理容師見習いに自ら上半身の衣服を脱がさせたうえ、左右上腕部を木刀で殴り付けた。

さらに、E子とF子は、木刀で理容師の左右上腕部を殴打し、ハイヒールを履いた足で足蹴にし、さらにハイヒールを脱いでそのかかとで頭部を殴打した。E子はハイヒールのかかとで理容師の頭部を数十回強打しながら「正座しろ」と言って理容師を正座させ、木刀でその全身を強打した。理容師は、殴られるたびに左右に倒れたり、手をついたりした。Bは理容師の左足を右足で二、三回、回し蹴りした。


【公園での暴行状況(2)】

Aら6人が理容師、理容師見習い両名にこのような暴行・脅迫を加えて30分ほどした午前5時ころ、CとDは「この女、輪姦(まわ)しちゃろか」と言って、理容師見習いを輪姦しようとした。F子は「やったれ、やったれ」と煽った。C、Dは理容師見習いを上半身裸体のまま、駐車場から50メートルほど離れた藪の中に連行した。Cは恐怖に震える理容師見習いに「全部脱げ」と言って、下半身の衣服も脱ぐよう命じた。C、Dは後からやってきたBとともに、全裸にされた理容師見習いを次々に集団レイプした。その間に、駐車場ではE子とF子が車から現金1
1553円と櫛、ぬいぐるみを奪い、Aは狂ったように車を破壊していた。

その後B、C、E子、F子が理容師見習いを探しに行き、輪姦された直後の理容師見習いを発見した。理容師見習いは下半身の衣服を着て現場へ連行される前の姿だった。4人は現場から、上半身裸体の理容師見習いを連れて駐車場に戻った。E子とF子は理容師見習いに「素っ裸になれ」などと言って、全裸になるよう命じた。しかし理容師見習いが躊躇したため、E子がスカート、F子がパンティストッキングとパンティを剥ぎ取り、理容師見習いを再び全裸にした。理容師見習いは抵抗する気力も失せて、なされるがままであった。

Cは全裸にされた理容師見習いの両手をつかみ、振り回してその場に転倒させると、E子、F子とともに理容師見習いの腰や足を足蹴にした。Aは「やきを入れたれ」と言い、B、E子、F子とともに代わる代わる「熱いか、熱いか」と言いながら、タバコの火を理容師見習いの肩、腹、背中、乳房などに押しつけた。理容師見習いは泣きながら「熱い、やめて」と哀願したが、F子は「ばかやろう、ぶりっこするんじゃない」と言いながら、その背中にタバコの火を押し付け、CとE子は、ライターの火で理容師見習いの髪の毛を焼いた。さらにE子は理容師見習いの髪の毛をつかみ引っ張ってその場に仰向けに倒し、ハイヒールを履いた左足で理容師見習いの左腕、F子が同様にハイヒールを履いた足で右腕を踏み付け、Cが理容師見習いの両足首を持って広げ、陰部にシンナーをかけタバコの火を腹部付近につけた。理容師見習いは放心状態であった。

3人が理容師見習いの手足を離すと、理容師見習いは全裸のまま立ち上がったが、E子はそこをまた拳で腹を殴りつけ、B、C、F子も加勢して拳で殴打したり、足蹴にしたりした。殴打があまりに長く続いたので、理容師見習いの顔がみるみる変形していくのを目の当たりにした理容師は、命の危険を感じ「お願いです。彼女だけは助けてやって下さい」と泣いて懇願したという。しかしAらは理容師の腹を蹴りあげ、黙らせた。

Aら6人はこうした暴行を午前6時頃まで続けたあと「警察に行かれると困る」として、2人を拉致することに決めた。6人は理容師を先に1台目の車に閉じ込めたうえで、暴行のため全裸にされていた理容師見習いに服を着るよう命じた。理容師見習いが服を着終わると2台目の車に連れ込んで公園を出発した。 2人とも放心状態で、理容師見習いは車内で泣き続けていた。


【被害者拉致から殺害決定までの状況】

午前7時30分頃、6人は理容師、理容師見習い2人を連行して愛知県海部郡弥富町(現弥富市)のドライブインに立ち寄り、今後の行動について話し合った。「車の修理代、どうしょう」「俺、金ないよ。どうやって弁償すんの」など、話題は主に2人のことではなく、車のことだったという。Aは「顔を見られている。警察に逮捕されるのは嫌だ。男(理容師)は怪我もひどいし殺っちゃおう。女(理容師見習い)はどこかに売り飛ばし金にするが、それが出来ない時は女も殺そう」と提案し、他の者たちも同意した。


【殺害決定から男性殺害前までの状況】

A、C、D、E子、F子は、理容師、理容師見習いを連行し、午前9時40分ころ、名古屋市内のホテルに赴いた。Dは夜になったら連絡を受けることにして、同ホテルで、他の4人と別れた。

一方、同ホテルに残ったA、C、E子、F子は、怯えきって全く無抵抗の理容師、理容師見習いを連行して205号室に入り、CとE子がこの両名を見張り、AとF子が203号室に入って、午後5時ころまで過ごした。

Cは、同室において、理容師見習いがそれまでの被告人らの犯行により畏怖しているのに乗じ、レイプした。 Aは、同ホテルから理容師見習いを売り飛ばす当てについて、知人に電話をかけたが、確たる当てがないとの返事で、理容師見習いも殺害するほかないと考えた。

午後5時ころ、Aが車両を運転し、助手席にF子、後部座席にC、E子が乗車して、理容師、理容師見習いをその間に挟んで押し込め、同ホテルを出発した。 E子は、その車中で理容師、理容師見習い両名の所持金が足りないと因縁を付けて、手拳で2人を殴打した。

A、C、E子、F子ら4人は、理容師、理容師見習いを連行し、午後6時頃、名古屋市熱田区西野町一丁目の喫茶店に入った。

AとCが、同店の電話とその近くの公衆電話で、ポケットベルを利用してDと連絡を取った。その間E子、F子が理容師、理容師見習いを見張っていた。その後Aの知り合いの暴力団組員を尋ねたが、同人は不在であった。

そこでAら4人は、同市緑区大高町の洗車場に赴き、AとF子は一連の犯行発覚を防ぐため、車両を洗車した。洗車を終えたAは、理容師、理容師見習いを安心させるため「お前らは、いずれ帰したる」などと嘘を言い、A車両後部座席に乗車させた理容師に対し、Aが口述して被告人らの車を破損したので弁償する旨をメモに書かせた。

F子は、Aの意図を察知し、またCは、Aから同人の意図を教えられた。


【男性殺害状況】

24日午前3時頃、Aは理容師、理容師見習いに「今から送って行くが、ちょっと寄るところがあるので、道を覚えられたら困るから目隠しさせてくれ」と偽って、Cに命じて2人を目隠しさせた。A、C、E子、F子の4人はAのアパートに立ち寄り、死体を埋める穴を掘るスコップを持ち出し、首を絞めるビニールロープを買い、殺害準備をして愛知郡長久手町の卯塚公園墓地に向かった。

午前4時30分頃、4人は理容師、理容師見習い2人を連行し、卯塚公園墓地に到着した。Aは理容師を下車させて正座させ「お前、今からどうなるか分かってるだろう」と、殺害することを宣告した。Cが「助けて下さい」と命乞いする理容師の両腕を縛り、F子が口にガムテープを貼って抵抗も声をあげることも出来ないようにした。そしてA、C両名が理容師の首にビニールロープを二重に巻きつけ、首の後ろで交差させ、左右から綱引きのように力一杯締め上げた。理容師は身体をふらつかせて仰向けに、さらにうつ伏せに倒れた。しばらくしてAらは理容師を足蹴にして生死を確かめ、まだ生きていることを確認すると、さらにロープを引いて絞め続けて絶命させた。しかもすぐには死なせず「苦しいか」などと言いながら、わざと20分以上もかけるという残忍さであった。

理容師がこのようにして殺害されていく間、理容師見習いは目隠しをされたまま、E子、F子に見張られ車内に監禁されていた。理容師見習いは周囲の状況に不安を感じ、また理容師の身に異変が起きたことに気づいて、E子、F子両名に「お兄さん(理容師見習いの理容師への呼称)、どこへ行っているんですか」と尋ねた。しかしE子、F子は「離れたところで話をしている。」などと誤魔化しながら、理容師見習いが声を出せないよう、その口にガムテープを6、7 枚も貼り付けて黙らせた。さらに、目隠しやテープを外せないよう、両手首もガムテープで縛った。理容師見習いは「何をするんですか、本当にやめて下さい」と顔を動かして哀願したが、これを無視されガムテープを貼り付けられると、観念したように静止した。しかし理容師が絶命する瞬間、うなだれていた顔を一瞬上げたという。


【男性殺害後から女性殺害前までの状況】

A、Cはこうして理容師を殺害し終えると、その遺体をトランクに積み込んだ。理容師見習い殺害は既に夜が明けていたため翌晩にすることにした。E子とF子が理容師見習いの口に貼ったガムテープを剥がすと、理容師見習いは、理容師の死体が入れられる物音を聞いて「何を入れているんですか」と聞いたが、誰も返答しなかった。A、Cが車に乗り込むと、理容師見習いは「お兄さんはどこへ行ったか」と尋ねた。Cは「家の近くで降ろした」と嘘を言ったが、理容師見習いは不審そうに首を傾げていた。

この後4人は残る理容師見習いを連行して同墓地を出発した。移動中理容師見習いは相変わらず目隠しをされたまま、鼻をすすって泣き続けていた。Cは車中で理容師見習いの胸を触ったりし、E子に注意された。

24日午前11時過ぎ頃、金城埠頭に来た時、理容師見習いは「外に出たい」と言った。Cが両手をほどき目隠しを外し、見張りながら下車させた。理容師見習いはCの隙を見て海へ飛び込み自殺を図ったが、Cに捕まり阻止され、車に引き戻された。理容師見習いは車中で「お兄さん、殺されたの、それだけ教えて」と泣きながら尋ねたが、Cは「家の近くで降ろした」と嘘を言ってごまかした。

その後4人は理容師見習いを連行してAのアパートに入り、理容師見習い殺害に出発するまでの時間を過ごした。午後2時頃、Cはそこで、意気消沈状態の理容師見習いの乳房や陰部を弄んだうえレイプした。Aはどうせ今夜殺してしまう女なのだから、やりたいだけやればいいとこれを黙認した。またF子はこの時「ごゆっくりね」と声をかけたという。


【女性殺害準備状況】

午後10時頃、4人は理容師見習いを連行して車でAのアパートを出発し、10時40分頃Bと再度合流した。5人は土地勘のある三重県の山中で理容師見習いを殺害し、2人の死体を遺棄することを決めた。Bが合流後は、車中で理容師見習いはCの膝の上に座らされていた。5人は現地へ向かう途中で理容師見習いの目隠し用タオル、殺害用ロープ、懐中電灯、食料などを購入した。途中で理容師見習いにも食事を分け与えたが、理容師見習いは口にしなかった。

25日午前2時頃、理容師見習いを連行した5人は、三重県阿山郡大山田村(現伊賀市)の山中に到着した。F子は前記のタオルで理容師見習いに目隠しをしたうえ、E子とともに理容師見習いが逃げたり目隠しを外したりしないよう、左右から両腕をつかんで見張りながら車中で待機した。A、B、Cの3名は理容師、理容師見習い両名の遺体を遺棄する穴を掘り始めた。E子は、理容師見習いが穴が掘り上がるまで待たされている間「最期にして欲しいことはあるか」と聞いた。理容師見習いは「1人で生きていくの辛い、帰してもらっても、飛び降りて死ぬつもりだった」「お兄さん殺されたのわかってるから、1人で生きてるの悪い」「最後にお兄さんの顔が見たい、お兄さんと一緒に埋めて」などと答えた。

A、B、Cは1時間ほどかかって、深さ約1メートル、縦横約1.5メートルの穴を掘り終え、Bが穴に入って深さを確認した。Aら3人が車に戻ると、理容師見習いは目隠しされたまま頬に涙を流していた。E子は「ねえ、こいつ死ぬ前に彼氏の顔見たいって」とAらに告げた。Cは途中で買った食料を理容師見習いに与えたが「これを私と一緒に埋めて、殺されるんでしょ」「お兄ちゃんと一緒に天国で食べますから」「お兄ちゃんが死んじゃってるのに、私だけ生きていてもしょうがない」「死ぬ覚悟は出来ている、お兄ちゃんと一緒に埋めて」などと言った。さらに再び「最後にお兄ちゃんの顔を見せて下さい」と言った。A は理容師見習いに理容師の遺体を見せることに同意し、Cに「見せてやれ」と言った。Cは目隠しされたまま理容師見習いを下車させたが、理容師見習いは自分で目隠しを取ることは許されず、Cに手を引かれてトランクまで歩かされた。

Cは理容師見習いの目隠しを外し、トランクの中の理容師の遺体を懐中電灯で照らして対面させた。理容師見習いは泣きながら理容師の遺体を見つめており、その両手を縛っていたロープを解いた。続いて握った状態の両手を離そうとしたが、既に死後硬直していて出来なかった。E子、F子は理容師見習いのこの様子を見て「あっはっは、こいつ泣いてるぅ」と笑った。Aは2人の身元が分かるような証拠を無くすため、理容師見習いに理容師の遺体の着衣から免許証やキャッシュカードなどを捜し出させて取り上げた。続いてA、B、Cの3人で、理容師の遺体をトランクから出し地面に置いた。


【女性殺害状況】

午前3時頃、Aは理容師見習いに「それじゃ殺ろうか」と、これから殺害することを宣告した。E子とF子は理容師見習いに「ほら、服脱ぎな、服で身元が分かっちゃうだろ」「全部脱げよ」などと言って、全裸になるよう命じた。理容師見習いはうろたえ「なぜ私だけ?お兄ちゃんは着たままなのに」と言って抵抗したが、Aに「早く脱げ」と恫喝され沈黙した。Aはさらに「服はトランクに詰めとき」と、脱いだ衣服を理容師見習いに自ら車のトランクに入れさせるよう命じた。理容師見習いは理容師の遺体が出されて空になったトランクに向かってセーター、スカート、パンティストッキング、靴を順に脱いで入れた。Aら5人は理容師見習いを取り囲むにしながらこの様子を見つめていた。理容師見習いは最後にパンティ1枚になったところで「お願い、下着だけは付けさせて」と哀願した。Aらは「まあいいやろ」と同意し、理容師見習いはパンティ1枚だけは脱がずに身に着けたままでいることを許された。Cは理容師見習いが脱いだ衣服を入れ終わるとその目前でトランクを閉め、理容師見習いに再び目隠しをした。この時理容師見習いは目隠しをされたまま「こんなことしても無駄よ、やがて警察に逮捕されるわ」と叫んだ。

Aは殺害用ロープを持ち、Bは懐中電灯で照らしながら、Cが理容師見習いの両腕を後ろ手にして掴んで歩かせた。Aら3人はこのようにして、目隠しされて1人では歩けない理容師見習いを前述の穴まで連行すると、地面に座るよう命じた。理容師見習いは尻を地面につけ、両膝を立てて抱えこむようにして腰を下ろし「やるなら早くして下さい、一気に殺して下さい」と言った。これが理容師見習いの最期の言葉となった。

A、C両名は理容師見習いの首にビニールロープを二重に巻き付け「準備完了」と言った。そしてAの「引っ張れ」という合図で、鼻歌交じりに力一杯締め上げた。理容師見習いは「ぐぅー」「げぼっげぼっ」というようなうめき声をあげ、回転してうつ伏せに倒れ、両足を痙攣させていた。その間、一度ロープが外れ、Aらは巻き直して再度締め続けた。この間AはBに「綱引きだぜ、Bちゃんも引っ張りや」と言いながらロープを引っ張り、Bはタバコを吸いながら、笑ってこの様子を見ていた。

AはBに、死んだかどうかを確認させ、Bは「脈がないぜ、もう死んでるんじゃないか」と答えた。しかしAは「念のためもう一回やる、この紐はほどけやすいので、男の手に巻いてあった紐で縛り直す」と言い、理容師の両手を縛っていたロープを持ってきて、理容師見習いの首を三重巻きにして再び締め続けた。理容師見習いは手足をバタバタさせていたがやがて静止した。5分ほどして再びBに生死を確かめさせ「30秒に1回くらい動いてる」と答えたので、なおもロープを引っ張り続けた。このようにして理容師見習いを窒息死させた。

「一気に殺して」という理容師見習いの哀願を無視し、理容師同様すぐには死なせず、完全に殺すまで30分以上もかけたという。この間、E子、F子は車中から、窓を開け閉めしながらこの光景を見物していた。


【死体遺棄状況】

理容師見習いが完全に絶命すると、2人の死体は上記の穴に埋められた。AとCは車に戻り、まず理容師の死体を穴の所に運び、反動をつけて穴の中に投げ込んだ。続いてうつ伏せに倒れていた理容師見習いの死体から首を絞めたロープと目隠しをしたタオルを外し、穴まで運んで同様に反動をつけて、理容師の死体の上に投げ込んだ。A、B、Cは2人の死体に土をかけて埋没させ、さらにその上で飛び跳ねて土を固め、枯れ木や落ち葉をかぶせるなどして死体を遺棄し、午前3時30分頃現場を離れた。

その後、名古屋市内に戻った5人は証拠隠滅のため同市内の荒子川とその近くのごみ箱に、殺害に使ったロープ、理容師と理容師見習いの免許証、理容師見習いの着ていたセーター、スカート、靴を捨てた。


【逮捕及び死体発見状況】

27日、目撃証言から愛知県警はAらを逮捕。供述通りに、三重県阿山郡大山田村(現伊賀市)の山林から、理容師、理容師見習い2人の遺体が発見された。遺体は頭を一部、土の中から露出させ、折り重なるように埋められていた。2人とも全身に激しい殴打の跡があった。理容師はジャンパーにジーパンと失踪当時の着衣のままであったが、理容師見習いは上記の経緯により身に着けていたのはパンティ1枚だけという全裸に近い姿で、首に紐状のもので絞められた跡も残っていた。


◆裁判◆


1989年6月28日、名古屋地裁でAに死刑、Bに懲役17年、Cに無期懲役、Dに懲役13年、E子・F子の2人に懲役5~10年の不定期刑の有罪判決が言い渡された。AとBはこれに怒って(特にAは「少年法があるから俺は絶対死刑にならない」と公言して憚らなかったという)即日控訴し、1996年12月16日、名古屋高裁は一審判決を破棄。Aは「矯正可能性がある」として無期懲役(後に確定)[1]、Bは懲役13年に減刑すると言い渡した。


◆被害者遺族たちのその後◆


【理容師遺族のその後】

新潮45 2003年10月号に掲載された「反省し『シャバ』に戻った少年少女のそれから」という記事によると、理容師の父は1993年ごろ、名古屋市内のマンションの一室で誰にも看取られることなく、机に突っ伏したまま息を引き取っていたという。


【理容師見習い遺族のその後】

同記事によると、理容師見習いの父は他の子供たち一家と暮らしているが、母は事件から9年後の97年11月、59歳の若さで他界している。


◆少年たちのその後◆


【主犯Aの近況】

主犯Aの近況については何度か報道されている。月刊現代2006年7月号などに掲載された元弁護人の話によると、Aは刑務所に入所後、遺族に作業賞与金と謝罪の手紙を送り続け、2005年には理容師見習いの父親から「頑張りなさいよ」と書かれた手紙を受け取ったという。共同通信社の2008年11月29日の報道によれば、Aは1989年の名古屋地裁での判決、つまり死刑判決を受けてから、2人の被害者の遺族へ謝罪の手紙を書き始め、岡山刑務所に収監された1997年以降は作業賞与金(刑務作業に支払われる給与)も添えて送るようになり、2005年3月以降は理容師見習いの父親と文通を行っていると報道された。殺人事件の被害者と加害者の文通は極めて異例であり、修復的司法の試みとされた。理容師の遺族からの返信はないが、手紙を受け取ってもらえていることは分かっていると報道された。ただしその「遺族」の、理容師との続柄についての記述はなく、どのような関係の人物なのかは2011年1月末現在全く不明である。


【元弁護人の発言】

1996年より主犯少年らの弁護人に選任された安田好弘弁護士は、Aの高裁での無期判決時は「ヘラヘラ笑いながら『綱引きだぜ』などと言って殺したのではない。殺す時、震えて震えてどうしようもないからタバコを吸うんです」などとTV番組のインタビューで発言している。なお、2006年にも同じ趣旨の発言をした記録が存在している[3]。

だが、冒頭陳述書などによると、理容師見習い殺害時Aがタバコを吸っていたなどという記述はなく、何を根拠にこのような発言をしたのか、意図は不明である。 死刑廃止論者の急先鋒でもある安田が「心神耗弱としての減刑」を図ったとみるのが有力な説である。


【共犯者たちの出所後】

上記の新潮45 2003年10月号記事によると、B、D、E子、F子の4人は既に刑期を終え出所したが、当人及びその親たちも、誰1人として遺族の元を訪れ謝罪した者はいないとのことである。

民事裁判で和解した賠償金も、出所した4人のうちBは出所後すぐ行方をくらませ消息不明で完全未払い。Dも同様に一銭も支払わないばかりか、遺族に自分の居場所を隠したまま結婚し妻子をもうけ平穏な生活を送っているという身勝手ぶりである。E子、F子は一部支払ったもののやはり完済することなく住居を変更し、現住所は同様に遺族に通知していない。

親たちについては、Aの親とE子の親は完済したが、Bの親は最初から親権放棄を決め込んでいたため調停の席にもつかなかった。C、Dの親はいずれも我関せずとばかりに息子の公判に顔さえも出さなかった。B、C、Dの親は全員、無関係であると主張して賠償の支払いを拒否しており、今後もその意思は一切無いという。なお、F子の親は一部未払いである。

同記事によると、Dはインタビューに対し「事件にばかり引きずられていてもアレでしょう、前に進めないと思う」「娘が同じ目にあったら許さないと思う。許さないんじゃないでしょうか」「賠償金については親が示談したが、親とも連絡をとらなくなって、忘れてるというかそれで終わってる」「被害者の墓参り?行く時間がないので難しいね」などと答え、事件への悔恨も、償いの意思も全くないどころか逆に開き直った無反省な態度と身勝手さを隠そうともしなかったとのことである。

これらは2003年の時点でのことであるが、その後も遺族への謝罪、賠償金の支払いなどについて何らかの動きがあったという新たな情報は2010年 11月末現在確認されていない。上記の山口母子殺人の弁護士も、主犯A以外の犯人については一切関わっておらず、出所した共犯者たちの現状については全く言及していない。
関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

カテゴリ
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

PR
リンク
メールフォーム
検索フォーム
PR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。