凶悪事件簿 女子高生コンクリート詰め殺人事件

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女子高生コンクリート詰め殺人事件

女子高生コンクリート詰め殺人事件(じょしこうせいコンクリートづめさつじんじけん)は、1988年(昭和63年)11月から1989年(昭和64年)1月の間に、東京都足立区綾瀬で起きた猥褻誘拐・略取、監禁、強姦、暴行、殺人、死体遺棄事件の通称である。事件番号は平成2う1058。

この事件は、加害者が全て少年(未成年)であったこと、犯罪内容が重大・悪質であったこと、犯行期間も長期におよび、少女が監禁されていることに気づいていた周囲の人間も被害者を救わなかったことなどの点で社会に大きな衝撃を与えた。


◆事件の経過◆


【事件の背景】

事件現場となった家庭は、両親が共働きで留守がちであったこと、家庭内暴力で、子供を恐れていたことから、自宅2階6畳間居室が不良交友仲間のたまり場と化していたと見られている。

二階の部屋は鍵が掛かっており、不良少年らは近くの電柱を登って、出入りしていたという。それを見かねた電力会社は登はん用のフックを外すほどであった。


【監禁殺人事件】

数名の少年が、女子高校生をレイプ後拉致、仲間の自宅2階の居室に監禁した。集団によるレイプ、性器にビンなどの異物挿入、裸踊りや自慰行為の強要、タバコを2本一度に吸わせる、シンナーを吸わせ、1メートル以上上から鉄棒を腹に落とす、トイレにも行かせず飲料用紙コップに排尿させその尿を飲ませる、1.6キログラムの鉄球付き棒で大腿部を数十回にわたって殴打したり、被害者の脇腹部、脚部等を多数回にわたって手拳で殴打し、全身が血だらけになり目の位置がわからなくなるほど顔を膨れ上がる程の殴る蹴るなどの行為を繰り返し、少年Bが「なんだお前でっけえ顔になったな」と笑う、足にライターのオイルをかけて火で何度もあぶる、真冬の時にベランダに裸で放置、顔面に蝋をたらす、などの苛烈な行為を41日間にわたり行った。

女子高生を監禁していた家の両親は女子高生の存在を認知しており、一度一階で一緒に食事を摂ったりした。その折、女子高生に「早く帰りなさい」と促し、一時は家を出たのだが、加害者の少年の一人が連れ戻したので、結局監禁は続いて行われた。

1989年(昭和64年)1月4日、「ギャンブルに負けた」という理由で、自力では立てなくなりほとんど動けなくなった被害者を2時間にわたって殴る蹴る、足をライターオイルで焼く、鉄の棒で殴るなどのリンチを加え放置し、その結果被害者は死亡した。翌日、犯人が被害者の死亡に気づき、死体の処理に困った加害者たちは、遺体を毛布で包み旅行バックの中に入れドラム缶に入れてコンクリート詰めにして、東京都江東区若洲の埋め立て地(現在の若洲海浜公園敷地内)に遺棄した。

同年(平成元年)3月29日、別の事件で逮捕された際の取調中の加害者の供述により、被害者の遺体が発見されたことから事件が発覚した。


【裁判】

主犯格の4名は刑事処分相当として東京家庭裁判所から検察庁へ送致(逆送)され、刑事裁判にかけられた。

1990年7月20日に開かれた東京地裁刑事四部の判決は、主犯格の少年Aは懲役17年(求刑無期懲役)とした。他の少年三人には準主犯格と見られる少年Bには懲役5年以上10年以下(求刑懲役13年)、監禁場所に自室を提供した少年Cには懲役4年以上6年以下(求刑懲役5年以上10年以下)、最も関与が薄いと見られた少年Dには懲役3年以上4年以下(求刑懲役5年以上10年以下)の不定期刑を言い渡した。本件では殺意の有無について争われたが松本光雄裁判長は判決で「未必の故意」を認めて殺意を認定した。一方で検察側の求刑より軽い理由として少年らが家庭内暴力を受けていたこと、犯行が計画的でなかったこと、Aの両親が遺族に五千万円を支払っていること、少年らが裁判中に人間性に目覚めていることなど情状酌量の事情を取り入れた。なお、少年D以外は殺人の他に婦女暴行、窃盗、傷害なども有罪と認定された。検察側は少年A、B、C、Dに関する量刑不当を、少年Bの弁護人は同少年に関する量刑不当を、少年C の弁護人は同少年の殺意の有無に関する事実誤認および量刑不当を主張し、それぞれ控訴した。

1991年7月12日、東京高等裁判所は、少年A、C、Dに関する検察側の主張を認め一審判決を破棄、主犯格の少年Aに懲役20年、少年Cに同5年以上9年以下、少年Dに同5年以上7年以下をそれぞれ言い渡した。一方で少年Bに関しては懲役5年以上10年以下とした一審判決を支持、双方の控訴を棄却した。その他3人の少年が少年院に送致された。


【少年たちのその後】

少年Dは少年院を出所後、自宅に引きこもるようになったという。また少年Bは、仮出所後、保護観察関係者の女性と養子縁組を結び姓を変えていたが、2004年(平成16年)5月19日に再び同じ足立区や三郷市で男性に言いがかりをつけ監禁致傷事件を起こし、6月4日に逮捕され、懲役4年が確定した。この事件の影響で服役中だった少年Aは模範囚だったことから仮釈放の予定だったが取り消しになったという。 主犯格以外の少年たちは、出所後、それぞれマスコミのインタビューを受けている。


◆反響・影響◆


【マスメディアの反応】

この事件の主犯格が4名とも未成年者であったことなどから、大々的に報道された。

少年法では事件の犯人が少年の場合、実名を報道することを禁止しているが、当時、一部の報道機関が少年らの実名を報道した。実名報道した「週刊文春」(担当記者:勝谷誠彦、編集長:花田紀凱)は理由として、「事件があまりに凶悪であるため」、「野獣に人権はない」と説明している。この報道をきっかけに「週刊文春」は売上部数ナンバー1になり、犯罪の低年齢化に伴う少年法論議に火をつけた。

監禁場所を提供した少年の両親について「日本共産党員だという話もある」と「週刊新潮」が報道すると、日本共産党は機関紙『赤旗』で同両親が党員であったことを認めた上で「同事件は暴力団との関係も指摘されている、許すことのできない残虐な事件であり、もちろん日本共産党とはいっさい関係ありません」との記事を掲載した。その1ヵ月半後には同両親の対応を検証した特集記事が『赤旗』に連載された。


【識者の反応】

評論家赤塚行雄はこの事件を「狂宴犯罪」と呼んだ。


【一般の反応】

犯人が少年であったことから、同年代の子供を持つ親に計り知れない衝撃を与えた。市川一家4人殺人事件の被疑者が、この事件の判決を知り「自分はこの事件の被疑者らと比べるとまだまともだ」と述べていた[4]。この事件の被疑者は死刑が確定した。

東京地方検察庁には、極刑が相当であり無期懲役の求刑に抗議する、との旨の投書が殺到した。
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