凶悪事件簿 新潟少女監禁事件

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新潟少女監禁事件

新潟少女監禁事件(にいがたしょうじょかんきんじけん)は、2000年1月28日、新潟県柏崎市の加害者宅にて発見・保護された女性が、9年2ヶ月もの長期間の監禁をされていた誘拐事件。


【概要】

2000年1月28日、新潟県柏崎市の加害者宅に別件(母親への暴力)で訪れた保健所職員が、中にいた女性を発見・保護に至り、発覚した。

女性は小学校4年生だった1990年11月13日、新潟県三条市で下校途中に行方不明になっていた。実に9年2ヶ月にのぼる誘拐監禁事件であり、社会に多大な衝撃を与えた。保護されたとき、被害者の女性は19歳で、PTSDと診断され、監禁生活の影響で、同年代の女性に比べて運動能力も著しく低下していたが、後に自動車を運転できるほどにまで快復し、引き続き療養を受けながら生活を送っている。

加害者(犯行当時28歳)の容疑である当初は未成年者略取罪、逮捕監禁致傷罪であった。未成年者略取罪と逮捕監禁致傷罪は観念的競合として逮捕監禁致傷罪の刑が上限になるとして、監禁致傷罪の懲役10年が上限になり、地裁判決では「犯行は法が想定していた刑期をはるかに越えた最悪のもの」と認定されるなど、罪刑法定主義の観点から刑罰の上限の問題が浮上した。検察が監禁致傷罪以外に別件である窃盗罪が立件されたが、監禁致傷罪と窃盗罪を併せた併合罪の処理が争点となり、最高裁まで争われた。また、検察側は論告で「未決勾留日数を1日でも算出すべきではない」として、長期服役を意図していたことを明白にしていた(判決では未決勾留日数は算出された)。男は懲役14年が確定し、服役中。

9年2ヶ月もの長期間にわたって監禁して虐待した者が、たった14年の懲役で許されるのか…という激しい世論が起こり[要出典]、その後の厳罰化への一石となった事件である。加害者が、長期間の引きこもりであった事も、話題のひとつとされた。

裁判の争点 [編集]当時の監禁致傷罪(221条)の最高刑は懲役10年であり、窃盗罪(235条)もまた懲役10年であった。そして、併合罪(45条)は47条で「併合罪のうちの2個以上の罪について有期の懲役又は禁錮に処するときは、その最も重い罪について定めた刑の長期にその2分の1を加えたものを長期とする。」と定めている。そうすると形式的には懲役15年の枠内で自由に量刑が出来そうである。

ただ、枠内で自由に量刑を定められるとすれば、普通なら不起訴になる軽微な犯罪を併合罪として起訴することで法定の最高刑を簡単に超えられてしまうとも考えられる。実際、本件で追起訴された窃盗罪の被害額は2464円相当であり、弁償もされていたので普通は起訴されることのない犯罪である。ただし、別に立件された窃盗罪は監禁されていた少女の衣類用に盗んだものであり、監禁事件と全く無縁ではない。

そこで、併合罪がいわゆる併科主義による過酷な結果の回避という趣旨を持つことを前提とした上で、個別の罪の量刑を定めて合算すべきなのか(高裁)、科刑上限の枠内で判断すれば良いのか(地裁)が争点となった。最高裁は後者を支持した。


【関連する出来事】

加害者は1989年6月13日に、別の女児に乱暴し同年9月19日有罪判決を受けていたが、警察の被疑者リストには記載されず、警察のずさんな初動捜査が浮き彫りになった。
被害者が保護された際、新潟県警本部長が関東管区警察局長を東蒲原郡三川村(現阿賀町)で麻雀接待していたことが後に発覚、事件の報を聞いても幹部たちは接待を続けた事で、警察への信頼は大きく揺らいだ。
その接待麻雀についても賭け麻雀、つまり現職警察官による賭博罪に該当するのではないかとの疑念が持たれたことについて「現金を賭けたのではなく図書券を景品としただけなので賭博ではない」とした。本人が賭け金を出費していないのであれば賭博罪には当たらない。
後に新潟県警本部長と関東管区警察局長が辞職。二人の辞職について報道番組で報道された際「自ら辞職することで、数千万円の退職金が支払われようとしている。」と報道、その後二人は、退職金受け取りも辞退した。
当時の警察庁長官であった田中節夫も減給処分された。
特定失踪者問題調査会が“北朝鮮に拉致された可能性のある人物”として被害者をリストに入れており、「認定」の杜撰さを指摘する声が一部で上がった(北朝鮮メディアも「拉致問題の否定」のためにこの事件を報道した[要出典])。


【事件、裁判の経緯】

1990年11月13日 - 新潟県三条市で下校途中に、小学4年生だった女性が連れ去られ、行方不明になる。 この後9年間に渡って監禁されていたことが後に判明する。
2000年1月28日 - 柏崎保健所職員が、母親への暴力という相談を受けて男の自宅へ入る。その際に被害者を発見し保護。男は精神不安定により入院。
2000年2月10日 - 犯人の男は1989年、当時9歳の女児を乱暴しようとして逮捕されていたにも関わらず、県警が男の名前を容疑者リストからはずしていたことが明らかに。
2000年2月11日 - 男を逮捕。
2000年3月3日 - 被害者を監禁し、酔ってけがを負わせた監禁致傷罪で起訴。
2000年4月 - 長岡市のガソリンスタンドなどで、被害者の実名などが書かれたビラが貼られているのが見つかる。
2000年5月23日 - 新潟地裁で初公判。男は罪を認めるものの、弁護側は精神鑑定を請求。
2000年6月26日 - 地元のデパートから女性用の下着を万引きした窃盗罪で男を追起訴。
2001年9月6日 - 「完全責任能力あり」と鑑定担当の医師が結果を提出。
2002年1月22日 - 新潟地裁、懲役14年判決(求刑15年)。
2002年1月24日 - 弁護側、判決を不服として控訴。
2002年12月10日 - 東京高裁、「第一審は併合罪の処理を誤っている」として懲役11年に減刑。
2002年12月24日 - 検察側、弁護側共に上告。
2003年7月10日 - 最高裁、「併合罪は個々の罪を別々に処理するのではなく、全体を統一し処理すべきだ」との初判断を示し、懲役14年判決(控訴棄却の自判)。確定。
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